SNSで同僚をフォローするのをやめた

SNSというかTwitterで同僚をフォローするのをやめて精神衛生が良くなった。

一緒に仕事をするうえでパーソナリティも知りたいなと思って基本的にフォローしていたのだけれど、最近それによって楽しいとか便利と思うことより、きついと感じる機会のほうが多くなったのでやめた。

『エンジニアのためのマネジメントキャリアパス』を読んだ そもそものきっかけは、チームでテックリードというエンジニアのリーダー的な役割を拝命したからだった。 チームを良くするためにという思いもあって、チームのエンジニアのそれも職能のうちの一部に限定して基礎的なマネジメントに手をつけはじめた。

会社にはシニアエンジニアによるメンタリング制度がありそちらはチーム のエンジニアがメンターを務めることになっている。その制度とは別にテックリードとしてチームメンバーのキャリアプランなどを鑑みて、チームと個人がお互いにハッピーになるにはどうしたらいいか、ということを定期的に話している。

そうすると必然とメンバーの個人的な動向を気にするようになる。有り体に言うと最近仕事うまくいってそうだな・調子悪そうだな、とか、そういうこと。

調子が良い時は良いけれど、悪い時はだいたい何かあまり楽しくないできごとによって調子が上がっていないことが多い。プライベートで何かあったとか、季節の変わり目でフィジカルがついてこないとか、上司含む他のメンバーと折り合いが付かない、とか。

そういう動向を察知したら解決に向けて手伝えることはないかと声をかけたりもする。幸い今まで自分の手に負えないような巨大なできごとはなかったので、それなりの負荷でそれなりの点数で解決できたと思っている。

しかし、そう、少なからず自分にも負荷がかかることも事実なのだった。

少なくとも今のところの自分は、相手の感じているストレスを自分なりに受け止めて、まず相手のストレスを柔らげて緊張をほぐす、というやりかたをとる。

個人的な体験だけれども、エンジニアという課題を解決するということを生業にしていると、自分が感じているストレスを課題に変換できないことは、自分の能力の不足ではないかとか、そもそも課題ではないのだから周りを変えるかたちでの解決ではなく、自分が適応すべきなのではないか、とかそういうことを考え込んでしまう。

もっと言うと自分の感じているモヤモヤを課題というレベルまで昇華できなければ他人と共有できないとさえ思い込んでいる節がある。

こうして冷静な時に書き出してみれば「そんなことないでしょ」と思えるのだけれど、真剣に悩んでいる時あるいは弱っている時は、そういう考えに至ることができない。

こういう体験は学生時代にはあまりしなかったから職業病みたいなものだろうと捉え、そうすると個人的な特質というより普遍的である可能性が高いだろうから、特に同じエンジニアに対してはまずストレスの置かれている状況に共感を示して「モヤモヤしている状態を伝えてもいい・伝わる可能性がある」という安心をしてほしいな、という思いがある。

こういった振る舞いは自分の強みでもあると思っている。ストレングスファインダーを受けたら5つの特質の中に共感性 (sympathy) が挙げられていた。

だからこそ、こういったメンタリングが自然にできているのだと思う。

とはいえかなり消耗するので、得意というのも違うかなと思っている。燃費が悪い。

だから適度に休息が欲しいけれど、そこでSNSでの繋がりがネックになる。

自分の仕事はTwitterを見たりツイートすることではないので、仕事をするというコンテキストから (一時的に) 離れている時だけTwitterを見るが、そこで同僚をフォローしているとそのツイートに一喜一憂してしまう自分がいる。

わかりやすく「仕事がうまくいかない!」とか言っている場合もそうだし、こっちが滅入っている時は「疲れた」という発言にさえ自分の瑕疵を疑いぎくりとする。

ほとんどノイローゼみたいな時は、自分がファシリテータを務めたMTGを終えた10分後くらいに「は〜〜」みたいな溜息めいたツイートを見た時は、責められているのかと思い落ち込んだりもした。けれど普通に考えて無関係な確率のほうが高いと思う。

で、いろいろ考えた結果、同僚をフォローするのをやめた。少なくともチームメンバーはフォローしないことにした。 自分の負荷を減らすためでもあるし、またよりよいマネジメントを目指してのことでもある。

つまり一緒に仕事をするメンバーのことは、仕事というコンテキストから見える姿のみを見て理解しよう、ということ。

たとえば、大袈裟にいえばSNSとかで仕事とは関係のない思想信条を発露していたとして、それが自分の主義と反するものだった場合、いくら仕事と関係のない思想信条であったとしてどこかしらにひっかかりを覚えずにはいられないと思う。

また、実際にあったSNSでの発言に被害妄想めいた不安を抱いたとして、けっきょくそれを確かめるにはプライベートとかまで踏み込む必要があるが、それは泥沼だ。自分がケアしたいのは仕事仲間としての同僚であって、同僚という人間そのものではない。

というようなことを考えてフォローするのをやめた。そもそもけっこう前から同僚はフォローせずに非公開リストに入れて見ていたのだけれども、それも消した。

まあ、これは近年のTwitterがリスト機能をぞんざいにしているので、そもそも機能が使えなくなるのでは、といった不安もきっかけだった。

ちなみに結果からすると自分は同僚のSNS上の発言や振る舞いを見て落ち込んだりもしたけれど、あくまで自分が一方的な解釈をしただけのことなので、自分含めた人々は好きにSNSをやるのがいいと思う。