株式会社はてなを退職

2020年8月14日付けで退職する運びとなった。
入社が2012年なので勤続丸8年を迎え社内でも古株の方になってきつつある。Web業界にしてはわりと長くいたほうだと思う。
自分自身でもこんなに長く籍を置くとは思っていなかったので驚いている。

はてなに入社してから3039日

退職を決めた理由は主に2つ。

金沢移住

1つめは、現在住んでいる京都を離れて金沢で暮らしたいと考えたから。

数年前に観光で訪れた金沢を歩いてから一目惚れしてしまい、自分がここで生活する想像をするうちに単なる夢想から具体的に実現することを考えはじめた。
これを書いている時点で、株式会社はてなの事業拠点は東京と京都のみであり、在宅勤務は育児や介護、その他会社が認めるに足る理由があるケースのみ認められている。
平時は週数日程度スポットでの在宅勤務はマネージャーと合意した上では認められている。またコロナ禍においては在宅勤務推奨となっている。ただし、継続的にフルリモート勤務というのは上記の通り認められる事例は限定的になっている。
このまま在職しつづけても実現が難しそうと判断したのが、転職を決意した最大の動機といえる。

制度設計や判断について特に言うべきことはない。単に自分のニーズに合わなかったというだけのことだと思う。

幸か不幸かコロナ禍でリモートワークを半ば余儀なくされ当事者は拡大しているので、議論が進む機会となることを願っている。

一応、制度の拡大について提案してみたが諦めた。
世の事例を調べるに、ローカルワーク *1 に慣れたそれなりに成熟している企業がリモートワークに切り替える際には、

  • トップダウン
  • 合理性や生産性の観点で評価するというより、働きやすさ・自己実現の促進という観点を優先させた

事例がほとんどだった。

つまり、トップがある物差しを差し置いて別の物差しを守ろうとする強い判断を起こしたというヒロイックな事例しか見つからなかった。
「働きやすさを守る経営者」というと美しく見えるが一長一短であると思うし、どちらが良いという話でもない。

ここで重視したのは、生産性がローカルとリモートでどれくらい変化しうるとか、それをどう埋め合わせるための仮説や検証をこうしたとか、経営判断に繋がる十分な強度を持った提案の根拠として十分な仮説や先行事例を当時は見つけることができなかったということ。

ただしこれらは転職活動を始めた当時の調べによるものであって、現在は状況が変わっているのでこれまで在宅勤務の導入に踏み切っていなかった企業がうまくバランスさせながら導入を試みる事例や方法論がより多く世に出ていくことと思う。

そして、当社は企業全体の生産性と働きやすさをバランスさせる制度を前提としており、なかなか骨が折れそうなので諦めることにした。
実際、全体最適を考えてリモートワークを拡大しようとすると慎重にならざるをえないと自分も思う。しかし、今自分が選びたいのは組織全体にとって善となることより、個人の願望を十分なスピードで叶えることだった。

また、リモートワークが前提となった世界でではどううまくやっていくか? という問題に取り組みたいと考えた。
過去に失敗した事例はいくらでもあるし容易な道ではないことは承知しているが、それでもフロンティアに立ってどう解決するかに自分の時間と情熱を捧げたい。

後述するように、他の動機もあって留まることにこだわることはないと考えた。

ちなみに、在宅勤務ではなく通勤手当の拡大という線でも提案したがこちらも諦めた。在宅勤務の拡大より合理性の面でより望み薄 *2 だと考えていたので、これも仕方がないと思う。

スーパーリセット

2つめは、大きな変化を欲したから。

端的に言えば老害なりかけの自分を一旦捨てたかったから。

blog.kentarok.org

8年勤めて、様々なことに慣れた。仕事の進め方や手続きで不明なこともない。
中心に据えられている事業分野で求められるであろう技術・スキルはそれなりに備えていると思うし、業界が発展してもキャッチアップしつづける自信もある。
それなりに信頼も得ている。自分の発言はそれなりに尊重してもらえる。

でも、ふとした時に自分ってそんなに大した人間なのか? って思う瞬間が増えた。これって、単に時間を重ねただけの結果なんじゃないの?
ここに至るまでにもっと短い時間で済ませられたり、同じ時間をかけたらもっと遠いところに至れる可能性はなかったの?

ちゃんと自分は成長するべくして成長したのか。エンジンはへたっていないか、惰性に任せきりではなかったか、そういった自問自答に自信をもって答えられる根拠は少ない。
単に周りに恵まれただけで、自力は大しことがないのではないか。

自分は仕事以外にも時間を使いたい趣味はいろいろあるし、仕事一筋でも大好きというわけでもない。働かずに暮らせるなら今すぐそうしたいと思う。
しかしそれも難しいので、ならば生活の中で少なくない時間を使う仕事はとてもおもしろいものであってほしい。おもしろい仕事は難しい。難しい仕事を果たすためには技量と信頼がいる。
そういえば面接で当時社長だったjkondoさんに「僕は仕事がしたくないです。仕事を仕事だと思ってするつまらないことは絶対にしたくないです」って言ったおぼえがある。

株式会社はてなに留まってもそういう仕事ができる可能性は十分にあると思う。しかし自分がへたっていないか、ちゃんとおもしろい仕事を楽しみつづけるだけの体力が今もあるのか、それを維持できる体なのか、ということを試したい。
そのために、自分の身ひとつ以外は無いところに身を移してみたいと考えた。

8年ちょっとでやったこと

Resume - aereal

転職活動を始める際にさっと職務経歴書にまとめた。ここに書くことに苦労しないくらい色々とおもしろいことがやれたのは本当に良かった。
複数の相手にURLだけ伝えれば良い・見るであろうぎりぎりまで手直しできる、などのメリットがあるのでPDFとかを都度送るのは非合理だなと思った。

新サービス立ち上げから独自ドメインHTTPS配信、オンプレミスからクラウドへの移行などなど。Webのソフトウェアエンジニアとして一通りここは通りたいと思っていた分野を一巡りできたのではないかと思う。

特に独自ドメインHTTPS配信システムを作るのは良い経験になった。RFCで定められたプロトコルに従って実装を書いたり、そもそもTLSまで降りてプロトコルを学んだり、それまでのWebアプリケーションエンジニアから少し踏み出したエンジニアリングができた。

これから

そんなこんなで転職活動を始め活動を終了した。8月から新しい会社で働く。
金沢で暮らしたいという意思を伝えて理解いただいたうえでオファーをいただいたので確実に移住への大きな一歩を踏み出した。

次もWeb業界でソフトウェアエンジニアをやる。試用期間が終わるまでは所属は明らかにはしないと思う。クビになったらダサくて恥ずかしいので。

転職活動はかなり消耗したのでしばらくやりたくない。まず初めての転職だということもあるし、おまけにCOVID-19の拡大と重なってしまい現職の仕事も転職活動もだいぶ大変になった。
内定が出たGWごろは、楽しみだった旅行もライブもすべて無くなってしまい気分が完全に落ちていたので手放しで喜べなかったどころか、途端に不安になってしまったりかなり参っていた。

最後に。大学を中退したどこの馬の骨ともわからない人間が、10年近く経って贅沢に自己実現やキャリアのことを考えられているのも伸び伸びと仕事ができる環境があってのことだったと思う。
また、お世話になった方は数知れずいるものの、id:hitode909さんは自分が入社する以前からよく気にかけてくださり、大学もアルバイトも辞めて実家に帰るか野垂れ死ぬか考えていた時に「(はてなに) アルバイト応募してみませんか」と声をかけてもらえなければこうしていることはなかったでしょう。
入社してからもソフトウェアの話、仕事の話、おもしろ技術の話、様々に刺激を受けお世話になりました。数年来hitodeさんが務めたチームのリーダーを引き継ぐと決めた時にやっと同じ土俵に立てたように思い、とても感慨深くまたやっと自立できたと思える瞬間でした。
こういう話はしたことがなかった気がするけれど、ずっと意識していたのです。

在職中は他にも挙げきれないほどの方々にたいへんお世話になりました。本当にありがとうございます。引き続きインターネットでお会いしましょう。

*1:同一拠点で勤務すること。オフラインと表現することもあるが、リモートとより対称がとれていそうなのでこの表現を選ぶ。

*2:近距離通勤手当を福利厚生として支給している